すなわち、異物であり、わけのわからないものであり、得体の知れない何かである。

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4月29日からゴールデンウィークに入った。8連休。特に予定はない。何もしていない。やる気がないと言えばそれまでだが、やらなきゃいけないこともない。いずれほっとけば死ぬだろう。鬱だ、と言えば、鬱というレッテルを貼られて鬱に認定されるかもしれないが、平穏といえば平穏である。言葉なんてそんなもんで、確かなものなど何一つない。幸せも不幸せもない。自由も虚無もない。吹いている風のようだ。たまたま。頑張り屋さんというレッテルの保持者からは悪く言われるかもしれないが、頑張る必要もなく、たとえ悪く言われようと、悪いとは思わないし、悪く言って来る人が悪いわけでもないが、善か悪の二元論のレッテルを貼らなければ、この虚構の現実社会も成り立たないのでやっかいだ。常にジンルイなど矛盾を抱えて生きており、生きているという観念が刷り込まれている以上、生きているし、生きているので対立候補の死はやってくる。逃れられない矛盾の極地だ。時計のカッチんカッチんいう音と近隣のボロアパートのメンテに来た作業員の声が聞こえる。時計がなければ時間は定まらない。「こんにちは、時計です。時間を定めにきました」そんなもんで、野生には明るいから暗いへのシフトがあるだけだ。ジンルイだけが陽が高かろうが、月に照らされてる領野が大きかろうが、定時の時間である。その狂気は忘れない方が良い。言葉と時間に支配され、カネが権威付けられ、ジンルイはそのシステムの奴隷に自ら志願しているに過ぎないアホなのだ。そして、その観念システムから完全にのがれたなら、あなたの明晰な自己意識はそこに存在しないだろう。すなわち、「完全に逃れる」を理性で知覚することは不可能で、八方塞がりでゲームオーバーな訳であるが、それをわかった上で、ゼロであり全てであり無であり摂理総体なのだが、こうして言葉で表現している以上、無でもなければ摂理総体でもなくジンルイのエゴであり、それを踏まえて無ではなく「無」という深い暗闇のような何かに接近し続けると入り口と出口のある世界から外側の開口部が見えてきそうな気さえする。

すなわち、異物であり、わけのわからないものであり、得体の知れない何かである。